2024.05.15
量子センサとは何か?量子コンピュータと並んで量子センサとのタームをよく目にする。量子センサとは、古典的なセンサと異なり、「量子力学の原理を利用してさまざまな物理量を高精度に計測する」センサと定義されることもあるが、分かったようで分からない。
半導体などの固体電子工学は電子の波動性、つまり量子力学の原理に従って理論構築されているが、半導体トランジスタを使ったものを量子センサとは呼ばない。レーザはかつて(今でも)量子エレクトロニクスと呼ばれ、量子井戸や量子ドットの用語が日常的に使われているが、レーザを用いたからといって、量子センサと呼ばれることはない。
量子コンピュータのアナロジーから量子センサと呼ばれている節がある。量子コンピュータには、量子力学だけでなく、「量子もつれ」の利用が欠かせない。量子コンピュータかどうか、定義の論争に発展するほどである。しかし、量子センサには、「量子もつれ」の利用は必須ではない。
ジョセフソン接合を含む環状超伝導体であるSQUID(超伝導量子干渉計:superconducting quantum interference device)は超伝導の量子効果を応用した非常に感度の高い磁気センサである。60年近く前に発明されたデバイスで、MRI、脳の計測や鉱脈探索などに広く応用されている。また、超伝導量子コンピュータの基本デバイスにもなっている。まさに量子センサの定義そのものといえる。しかし、最近はやりの「量子センサ」は、SQUIDのアンチテーゼとしての色彩が強い。
SQUIDは高感度ではあるが、液体ヘリウム冷却という極低温を必要とし、使い勝手が悪い。同じような高感度のセンサを室温で実現できれば、応用は飛躍的に広がる。それを実現するのが「量子センサ」のコアとなるコンセプトと思われる。具合的には、ダイヤモンド中のNVセンターと呼ばれる欠陥に捉えられた電子のスピンを利用した、室温で動作する高感度センサが研究開発の中心になっている。表1に示すように、最近の量子センサの研究開発動向について、ダイヤモンド量子センサ以外の内容も含めて簡単に説明したい。
表1. 量子センサの種類と形態
デバイス | 量子系 | 形態/環境 | 計測対象/応用 | 備考 |
---|---|---|---|---|
ダイヤモンド | NVセンター (電子スピン) | 固体 常温 | 磁場,電場,温度 医療,車載,航空宇宙,産業機器,材料分析,資源 | 活発な研究開発 |
ワイドバンド ギャップ半導体 | 欠陥レベル (電子スピン) | 固体 常温 | 温度,磁場 パワー半導体,医療等 | SiC:VSi,hBN:VB,GaN:Pr |
量子もつれ光 | 量子もつれ光 | 非線形光学結晶 常温 | 赤外線分光 医療,ヘルスケア | - |
量子慣性センサ | 物質波 | 原子 極低温 &超高真空 | 重量場,角速度 車載,宇宙航空 | 製品販売中 |
ダイヤモンドのNVセンターは、炭素原子を置換した窒素(N)と隣接する炭素空孔(Vacancy)の複合欠陥であり、内部にスピンを有する電子を閉じ込めることができる。この電子スピンの緩和時間は比較的長く、そのため室温で動作する。
動作原理はやや複雑である。NVセンターを有するダイヤモンドに緑色の光を照射すると赤色の蛍光を発生する。計測対象の外部磁場に比例する形で電子のエネルギー状態は2つに分離しており、そのエネルギー差に相当するマイクロ波を照射すると、蛍光強度が減少する電子スピン共鳴(光検出磁気共鳴)が生じる。つまり、マイクロ波の周波数を掃引し、共鳴を起こす周波数から磁場の強さを計測することができることになる。計測前に光を照射してスピンを偏極させることによって、感度を高めることができるので、室温で高感度の磁場測定が可能になる。しかも、磁場の方向まで、つまり磁場をベクトルとして計測できるとの特長も併せ持つ。NVセンターに閉じ込められた電子の量子準位が測定対象(磁場)によって変化することを利用したセンサであることから、量子センサと呼ばれるようになった所以と思われる。
NVセンターの密度や位置を制御することによって、空間分解能を応用に適合する形で幅広く設定することができる。医療応用に限っても、タンパク質などのnmサイズのものから、μmサイズのニューロン、あるいはmmサイズの臓器まで、対象物の要求する空間分解能に適合したセンサを実現することが可能になる。食品や構造物の非侵襲計測など幅広い応用が見込めることから、広い技術領域の研究者を引き付けている。
国内では東京工業大学(東工大)や量子科学技術研究開発機構(量研)が中心になり、他の研究機関や民間会社を巻き込んだ形で、研究開発が推進されている。
例えば、東工大と矢崎総業は、量子センサを用いることで、EVに使用するバッテリーの充電電流を従来の100倍の高精度(1Aから10mAへ)で計測できることを示した。従来はホール効果素子や磁気抵抗素子を用いて、電流経路に挿入したバスバーに流れる電流により発生する磁場を計測しているが、これを量子センサに替えたものである。電流計測の精度を上げることで、余裕を持たせることなく最大蓄電量まで充電することが可能となり、結果としてEVの航続距離を伸ばせるという。試作品はまだまだ大きいが、小型化は可能という。最大のコスト要因はダイヤモンドで、安価な製造技術の開発が普及のカギになるので、合成ダイヤモンドの製造技術の開発も行っている。
自動車部品の大手であり、MEMSセンサの最大手であるボッシュも同様な量子センサの開発を進めている。地磁気を正確に計測することで、自動車や飛行機の現在位置を推定できるという。手のひらサイズの量子センサの写真を公開している。
東工大は東京大学(東大)などと協力して、ラットの心筋電流計測や脳磁検出用の量子センサの開発も行っている。脳活動の高分解能で高感度の計測が可能になれば、医療だけでなく、ヘルスケアや義手の自在な制御など応用範囲は計り知れない。意思疎通など、SFに見られるような展開も夢物語ではなくなる。
量研ではナノダイヤモンドを用いた量子センサの医療応用の研究を進めている。5nm級の微細なナノダイヤモンドを爆轟法技術で作成し、これに電子線を照射することで、NVセンターを形成する。ナノダイヤモンド量子センサを細胞内に注入して、細胞内の分子の位置や、温度、電場などの細胞活動を計測するという。照射するレーザパルスの周期を変えることで、背景光ノイズを除去し、高感度な蛍光イメージング技術の開発に成功したとの発表を行っている。ウィルス感染症、認知症や癌の早期診断が期待できるという。
ダイヤモンドはパワーデバイスへの適用に向けた結晶の高品質化と大口径化の開発が進められている。これに対し、量子センサや量子コンピュータに使用可能なNVセンターを有する高品質なダイヤモンド結晶の製造に特化したスタートアップも出現している。ドイツのDiatope社やフランスのHiqute Diamond社である。いずれも大学発のスタートアップで、EUの研究開発プログラムにも参加しながら、高品質の製造技術を磨いている。
高コストなダイヤモンドを他の母体材料に置き換える研究も進められている。例えば、量研ではSiC結晶中のSi空孔(欠陥)に捉えられた電子スピンを用いた量子センサの研究を行っている。SiCパワー半導体デバイス内にイオン照射で直接作り込むことができ、動作中の温度を高精度で評価し、パワーデバイスが破損しないような制御に用いることができる。
東大ではhBN(六方晶窒化ホウ素結晶)のB空孔を用いた量子センサの研究を行っている。この欠陥はダイヤモンドのNVセンターと同じような振る舞いをし、磁場センサとして機能する。
量研では、GaNを用いた量子センサの研究も行っている。GaN結晶にPrイオン注入して形成したPr3+の不純物レベルを利用する。レーザやマイクロ波を用いることなく、PN接合を用いた電流注入での発光を利用する。温度を高分解能で計測することができる可能性があるという。レーザ励起を用いてもよい。まだ可能性の検証段階にある。AlNへのPr注入でも同様な量子センサができる可能性があるとの報告もある。
ダイヤモンドに替わる安価な結晶材料を用いた量子センサの研究は、これから残量探索も含めて進んでいくものと思われる。
京都大学では島津製作所と共同で量子もつれ赤外分光の研究開発を行っている。非線形光学結晶(波長変換素子)に可視光レーザを通過させることで、量子もつれ状態の赤外光子と可視光子を発生させる。発生した赤外光子を被測定材料に照射して吸収させる。赤外線を直接測定すれば、通常の赤外線分光である。赤外線でなく、被測定材料に照射されていない可視光を計測する。両者は量子もつれ状態にあるので、量子干渉によって赤外光子の吸収情報が可視光子に反映される(直感的には理解しがたいが、これが量子力学の法則である)。つまり、可視光レーザとCMOSなどの安価な可視光検出器で赤外線分光ができるので、装置の小型・低コスト化が可能になるという。スマートフォンに接続して、パーソナルヘルスケアや医療への応用が期待され、マジックのような技術である。
物質波の干渉縞を利用して加速度や角速度を計測するのが、量子慣性センサである。レーザに比べて波長が短い分、検出精度が向上する(理論値は10桁)。量子センサのベンチャー企業であるAOSense社(米)とMuquans社(仏)が可搬型の重力センサとして、既に製品を販売している。自由落下する物体の加速度を直接測定することで、局所的な重力場を計測する。日本(電気通信大学、東工大)でも物質波を用いた角速度計(ジャイロスコープ)に関する研究が進行中で、自動運転車両の高精度自己位置推定などに適用しようとしている。残念ながら極低温と超高真空が必要であるため、特殊な用途に限定されると思われる。
ダイヤモンドは究極のパワー半導体デバイスとして長く研究開発が進められてきた。高電圧・大電流になるほど、デバイス面積は大きくなるので、それに応じたウェハサイズの大口径化および結晶欠陥密度の低減が必要になる。また、競合技術との対抗上、低コスト化が製品化の必要条件にもなる。いずれも厳しいハードルである。それに比べると量子センサは小さくて良い。ただし、結晶欠陥を使用するが故に意図しない結晶欠陥はノイズの原因になる。パワーデバイス用途は違った意味での結晶の高品質化が必要になる。対抗技術が超伝導素子であるなら、コストに対する要求も厳しくない。このようなことを考えると、実用化との観点では、パワーデバイスより先に量子センサ応用が来るのではないかと思われる。
量子センサに関する日本の研究開発レベルは高いと言える。また、実用化されたときのインパクトや応用範囲は極めて広く、医療、ヘルスケア、車載、産業機器、宇宙・航空に及ぶ。特に簡易に脳活動の計測ができるようになると、ポジティブ/ネガティブな意味での影響は甚大だと言える。研究開発のスピードは速く、ウォッチングしておくべき技術の一つであろう。
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